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コラム
 
 超二流の専門医 
医療ジャーナリスト
オフィス・シモムラ 代表 下村 徳雄 氏

  人口減少かつ高齢者割合増加・・・こうした地域の病院長何人かと話す機会があった。その一人の院長が語った「超二流の専門医が今求められている」という言葉が印象的である。地域医療への貢献というとき、救急医療と高齢者医療を抜きには考えられない。救急専門医を揃えることなど不可能な地域病院では、全ての医師が対応できなければ回っていかない。自分は肝臓専門だから他は診られないというわけにはいかないのだ。高齢者対応も同様である。

 専門医として専門医療のみを行うことができる場は限られている。しかも、第一線で果たしていつまで活躍できるのか。マネジメントに特化した職はさらに少ない。専門性を活かして診療所開業というケースはあるが、多くの場合、どんな患者でも診なければ診療所経営は成り立たない。新規開業へと進むのもいい。しかし、日本の地域医療を支えるために、多くの病院が必要としている総合診療的な動きができる医師として勤務するのも、選択肢の一つかもしれない。実は都会の多くの病院でも同じことが言える。求めているのは専門しかできない医師ではないのだ。

 今年亡くなった清水陽一氏へのインタビュー取材で、彼は痛烈な言葉で専門医批判をした。そのままの言葉では記事にできなかったので、表現を和らげた。専門医としてその疾病だけを診ることが医師として高度であり、他を診られないことを誇りに思っている人がいかに多いかと。それは自ずと患者や院内スタッフへの態度に出てしまうというのだ。見下す態度である。自分は絶対であり、自分に従えばいいという精神構造が身についてしまっているという。もちろんそうではない専門医も数多くいる。しかし、日本の医師教育が専門教育へと突き進んで行った大きな弊害が顕著になっているのが、今の医師世界であると、死を目前とした病室から語ってくれた。

 それに対して反論はあるだろう。専門医によってどれだけ治療効果を挙げたのかと。清水氏が言っているのは、その部分ではなく、社会変化への対応ということなのだ。今、どこの病院でも医師に対して求めるのは「人間性」である。地域の多くの患者もそこは見逃さない。

 「超二流の専門医」とは、専門分野を突き進んできた医師が、幅を広げて診療できる能力を持ち、人間的な優しさや態度、コミュニケーション力を備えているということだ。医学教育、医師教育・・・それはどんな医師を生み出していくのかというビジョンに基づき行われていくことが前提である。そのビジョンが社会と乖離していたら、医師も患者も救われない。

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