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コラム
 
 「住み慣れた家で死ぬ」こと
 さくらいクリニック(尼崎市)
桜井 隆

 在宅ケア"という言葉がこの医療業界でさかんに言われだしてもう10年近くになるだろうか。新規の開業医は必ずといっていいほど地域医療や在宅医療といった言葉をスローガンに掲げたりしている。多くの問題をかかえながらも介護保険は始まって3年が過ぎたし、相変わらず在宅医療費の伸びは医療費全体の伸び率をかなり上回って増加しつづけている。最近では一般社会でも"在宅○○"という言葉は市民権を得てきたようだ。

 しかし、在宅、自宅に在る、ということが、どうしてこんなに特殊なことになってしまったのだろうか?在籍、在学、在室、ただそこに在る、という意味に過ぎない。「日曜日は御在宅ですか?」と言うときも在宅に家に居るという意味しかない。それが、ケアや医療という言葉がついたとんに特殊な意味合いをもって、言葉自体が祭り上げられてしまうようだ。

「退院して在宅ケアを、、」(それはさぞかし大変なこと、、お疲れのでませんように、、) 
「開業して在宅医療を、、」(24時間365日、ごくろうさん、、)

患者、医者双方に数奇の目が向けられたりする。

病気や障害を持っていても住み慣れた地域や自宅で過ごす、そしてそれをサポートする、ということがそんなに特別で大変なのなぜなのだろか?

 「家に帰りたい…。」迷子になった子供の言葉ではない。癌末期の患者さんの言葉だ。ではなぜ、帰れないのか、、迷子の子供は帰り道がわからないから帰れないのだが、癌患者さんは、なぜ帰れないのだろうか?

 あなたは仕事が終わったら、遊び疲れたら家に帰るだろう。当たり前のことだ。たまにはしゃれたホテルもいいかも知れないが、1週間もすれば家に帰りたいと思うに違いない。人生という仕事が終わろうとする時、家に帰るのはごく自然なことだ。それを当たり前に支える、それが在宅ケアを支える我々医療者や介護スタッフの役割だ。

 病院という箱に閉じ込めて医療ですべてを囲ってしまうのではなく、住み慣れた家で、住み慣れた自宅で残された時をゆったりとわがままに過す。そんな方を町医者や看護師さんやヘルパーさん達が、家族や近所のおばちゃん達と一緒にちょっとあわてたり、悲しんだり、微笑んだりしながらお見送りする。そんな死の日常化に向って、ゆったり進んでいきたい。
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