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コラム
 
 あるがん患者さんの死を通じて(3) 
  菜の花診療所
山寺 慎一 氏

 末期がんのAさんは誰にも見守られることなく亡くなってしまいました。たった一人で死に至る時間を過ごさざるを得なかったAさんの不安や恐怖はどれほど強かったでしょうか。私は申し訳ない気持ちで一杯でした。介護・看護の体制が不十分なまま予期せぬ死を招いてしまったことを、私は娘さんたちに詫びましたが、十分に介護に関われなかったという思いのためか、私たちを責めることはありませんでした。ケアに携わった看護師、介護福祉士やケアマネジャーからは次々と無念や後悔の気持ちが表れました。あのときこうすればよかった、こんなこともできたのではないか、と。

 私はこれまで、チームケアを成功させるためには、スタッフ一人一人がそれぞれの感情に流されることなく自分の役割をきっちり果たしさえしていればよいと考えていました。しかし実際の在宅緩和ケアの現場では、患者が衰えて死にゆく過程をスタッフは目の当たりにし、精神的に大きく動揺することがあります。一人のスタッフの動揺は他のスタッフやケアに関わる人々すべてに影響を与え、場合によっては不安や不信が生まれ、一丸となったチームケアが出来なくなってしまいます。今回のAさんの場合でも、担当ケアマネジャーが抱いた治療方針への不信感は最後まで解消されることがなく、結果として不幸な転帰を招いてしまったと言えます。私は今回の出来事によって、緩和ケアとはただ患者を見送るだけの消極的な医療というわけでは決してなく、スタッフ、家族そして患者が一体となって形作っていく大きな共同作業なのだと気づかされました。

 今日、別のある末期がん患者さんが亡くなりました。痛みやけいれんと必死で戦い抜いた末の壮絶な死でしたが、亡くなったことでその方の全てが消え去ってしまったわけではなく、死に至るまでの姿を通じて、私たちや残された家族に、がんで死ぬということについて強烈な印象を与えてくれました。私は今では、人のどんな死にも必ず意味があると思うようになりました。私たち緩和ケアに携わる人間は、人が死に至る過程から必ず学ぶべきものがあると思います。それを多くの人たちに伝える役割を、私たちは担っているのではないでしょうか。
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