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コラム
 
地域包括ケア論争?に対する呟き
行政マン M.M
 医療介護総合確保法成立を受け、「2025年に向け地域包括ケアの構築が喫緊の課題」と厚労省はじめ自治体、医療介護業界それぞれにおいて様々な議論が繰り広げられている。しかし、地域包括ケアの「定義」や「実現に不可欠な要素」について学術的にも「定説」はないと認識しているし、特に後者については「必要なものを漏らさず詰めみました」感が否めず、それ故に政策的な優先順位も明確ではなく、仮に提示されたとしても根拠に乏しい。厚労省による制度改正資料はじめ各種専門誌に目を通していても、どこか違和感を覚えてしまうのだ。抽象的かもしれないが、「住み慣れた地域で最期まで暮らせる地域づくり」と言った方がよほどしっくりくる。

 特に違和感を覚えるのは三点。まず特養、老健、病院、在宅医療、住まいなど「構成要素」とされる立場の方々が「我こそは地域包括ケアの要」と主張されること。確かに必要な「要素」ではあるが、前述のように「実現に不可欠な要素」は明確でないし、個人的には「我こそ」論に「地域」「住民」という「構成要素」が参加していないのは当事者不在に思えてならない。第二に、「包括的に提供する」というケアの提供方法論が先行し、肝心の「地域の在り方」論が置き去りにされていること。「既に地域力はない」といった論もあるが、どれほどケアを厚くしても地域生活の全てを賄うことなど不可能であることは「福祉先進国」といわれる国々の先行事例からも明らかである。この点はややもすると「ケアの切り捨て」「行政の責任放棄」と言われかねないのだが、地域の力を継承・再構築したり、新たな視点で地域をデザインすることは、ケアの受け手や介護者だけでなく、現役世代、子育て世代など誰にとっても暮らしやすさという恩恵をもたらすはずである。第三は、平等性の保障や地域差の是正という視点で、「モデル的な地域包括ケア」が錦の御旗のように叫ばれている気がしてならないこと。「地域」には人口構成のみならず、産業構造、医療福祉資源の分布、文化・風土など「違い」があって当然である。少なくともこれから高齢者が急増する大都市圏と既に高齢化の峠を越え人口縮小へ向かう地方圏では、それぞれ異なる地域包括ケアシステムがあるべきだし、そのことは「差」ではなく「違い」として受容されるべきである。そして、「違い」を格差ではなく地域特性として受容するか否かは、その地域の住民が判断すべきである。

 違和感満載であるのだが、自治体マンとしては最後に叫びたい。「これからは国ではなくより地域に近い自治体、更には住民が主役であり、その真価を問われる」と。

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